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大胆にSSL

事業を議決した責任もあり、議員たちは様々な質問を企業体にぶつけるが、その都度うまくあしらわれて、巧みに論点を外され、合同委員会は内容空疎、単なる補完機関となってしまった。

また、時間が経過するにつれてこれだけ多方面にわたって大きな、そして深刻な問題となってしまったRDFセンターを前に、広域行政組合事務局も、企業体と管理者あるいは議会の調整役のような存在へと変わっていた。 本来へこの事務局は広域事務に関する事業全体を検証しかつ問題点があれば自助努力によって解決をしなければならない立場にあったのだが0ただ、組合事務局自体の陣容にも、不備な点があった。
施策や事業の決定に重要な役割を果たす幹部職員が毎回、長年事務畑を歩いただけだったことから、技術面ではまったの素人だった。 そのため、複雑なシステムとなっているRDFセンターについてはも図面すら分からないという状態だった。
技術職も配置していたが、これも電気設備関係などに詳しい職員で、RDFといった大規模、かつ複雑で高度な専門知識がないと理解できない施設には慣れていなかった。 企業体は、@トラブルの原因は組合側が提示したごみ貿資料と現実が違った、A大改造工事は企業体が誠意をもって全額約四五億円を自己負担したへB生産したRDFに関しても、消費先の開拓に企業体も努めるもののへ原則として管内消費を優先させることで合意しているなど巧妙に責任回避を図る結果となった。
また、「実証プラント」であるとの議員の追及に対しては、「もはや完成された施設で、公的な第三者機関の技術評価をクリアして認知されている」と突っぱねた。 さらに、個別の項目についても、「契約に盛込まれていない」の一点張で、交渉は1向に進展しなかった。
議員側から続出する質問に対して、ややもすると本論から逸脱した事柄であっても、企業体にとってはへその回答はいともたやすいものとして写った。 この間、組合の管理者である当時のU市長は、ひと言も疑問を企業体にぶつけなかった。
合同委員会開催の冒頭、あたりさわりのないあいさつを述べるだけで、実質的な質疑には一切口をつぐんでしまった。 この管理者の態度は、住民に不可解に映った。
副管理者のO史小山町長は、「事態が進展しないのなら、法的措置も取らざるをえない」と強い憤りを示していただけに、管理者・U市長の優柔不断な対応は、町長、そして議貞間にも不信感を抱かせた。 以いつしか、「市長は弱腰」との声も出始めた。
〔RDF問題で現職市長が落選〕RDF問題が混迷を深め、解決に向かった方向付けが何一つ示されないという硬直状態に入っても、企業体との合同委員会は定期的に続いていた。 だが、以後も、これといった、決定的な打開策は兄い出せず、維持・管理費の高騰、倉庫にあふれ続けるRDFだけが、依然最大懸案、緊急を要する重点項目として残っていた。
この窮状に対して、行政のアカウンタビリティト(説明責任)の観点から、組合は『広域行政組合だより』を急きょ発刊して、住民に広報一これは、RDFセンターに搬入される可燃ごみの中に、金属類の異物が混入し、部品の破損を招いて、度々運転がストップするという事態の打開と、維持・管理費の節減を願って、ごみ減量を住民に働きかけるのが目的だった。 にもかかわらず、効果はそれほど上がらなかった。
住民は、決められた日に出したごみがキチンと収集され、集積所に積み残された一、散乱するといった事態が起こらなかったため、RDFの非常事態には比較的無関心だった。 RDFで広城行政組合が大変苦労しているという点をうっすらと感じてはいたものの、納税者としての危機感は希薄だった。

RDF関連予算があらゆる事業に最優先する事態を迎えても、予算執行の現場を知らない住民にとっては、現実味がなかった。 しかし、事業予算を編成する行政側にとっては、次年度予算の概算要求、ヒアリングなどを通して、RDFへの無駄な出費はホゾをかむ思いだった。
将来を見据えたインフラ整備を市長に提案しても、予算的な理由で規模縮小、あるいは見直しを迫られる場面が度々起こ一、張り切って進言した職員は、段々と仕事に対する意欲を失っていった。 特にRDFのパートナーの小山町に内緒で独断先行した御殿場市ではへこの弱みも手伝って各部署の職員に元気がななった。
部課長クラスの表情はともすれば曇がちで、庁内にはRDF症候群(シンドローム)が色濃漂い、職場の雰囲気は暗いものとなった。 市民も設計当初と比べて、四倍、五倍と膨れ上がってい維持・管理費について、異議を唱えて住民監査請求といった行動を起こさなかった。
一部では、この無差別的な公金の使用に不満を持つ動きがあったもののへ大きな市民運動にまでは発展しなかった。 市民は集積所に出したごみが、収集されていれば良かったのである。
センターの事態が一歩の進展も見ないままへ企業体とのこんにゃく問答が繰り返されていた中も大きな転機が訪れた。 RDFシステム導入に「ゴーサイン」を出した官僚出身の御殿場市のU市長が二〇〇一年(平成十三年)二月に任期満了を迎えることになった。
嘉で、RDF問題は時間が経過するにつれ、企業体との交渉は泥沼化して、結果、市長に126対する不満へ不信が徐々にではあるが、声とな始めていた。 しかし、市長選に向けてのこれといった対抗馬の動きはなかった。
この雰囲気の中、現職市長は任期満了を迎える六カ月前の市議会九月定例会で、与党市議の質問に答える形で、二期八年間の実績を披露一三選に強い意欲を示して出馬表明した。 この現職の強い自信と初当選当時、対抗馬に一万票の大差で圧勝した実績が後援会内部だけでなくへ有権者の間にも探浸透していて無投票の声が広がっていった。
無投票を阻止するためへ共産党など革新陣営も候補者を擁立する動きを見せたが、適当な人物を絞出せず、結局見送った。 アンチ市長派の市議を中心に、現職市長に敗れたベテラン県議を担ぎだす気配もあったが、大差での敗戦が尾を引きへいつの間にか立ち消えとなった0これに意を強した現職市長派は、無投票を確信して告示日の一カ月前になっても、表立った動きは見せなかった。

後援会には対抗馬なしへ無投票という楽観ムードが漂っていた。 だが、投票日の丁度一カ月前の十二月二十八日へ部長級のO開蔵御殿場地域振興センター所長が淫巡の末、出馬表明した。
立候補の記者会見で、O氏は、「職員としてRDF問題に関係し、執行側の責任の1端を感じているもののも市民の目線に立った場合、事態の進展を見ないのは憤を禁じえない。 何とかしなければという思いで立った」と決意を述べた。
しかし、新人のO氏は年末の出馬表明だったことから、後援会活動が本格化したのはう年明けの一月七日過ぎ。 この間、現職市長派は後援会の事務所開きや組織の立ち上げなど、すべてにわた一、新人を庄倒していた。
現職の後援会幹部の間では、一期八年の実績とT大工学部卒の元キャリア官僚に対して、地元の高校を卒業しただけの新人とでは、勝負は初めからついている、といった下馬評が流れ、選挙戦は楽勝ムード一色の雰囲気だった。 確かに、選挙戦では現職と比べて新人は、大幅に出遅れていた。

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